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余白が必要だと思うわけ

プロフィールの代わりに

ある日『よはく手帳術』という本を読んだ時、「余白」というものが必要だ、そう思いました。
残念ながらその本は手帳の「余白」を活用する手帳術だったのですが、私が必要だと思ったのは、手帳の「余白」をそのまま残しておくことでした。
バーチカルの手帳の時間軸に、びっしりと埋まったスケジュール、それが嬉しい時期もありました。
しかし今は、そこに余白があることが必要だと感じているのです。
 

詰め込むことが好きな人

旅の計画を立てることが好きでした。
私の立てた計画は、隙間が無いものが多く、与えられた時間の中で欲張ってあちこちを巡るものでした。
いつだったか北海道を旅した時には、あちこち訪れようと欲張って、結局旅の時間が移動ばかりになっていました。

以前の私の理想は、びっしりとスケジュールが詰まった手帳でした。
でも、ある日「手帳には余白が必要」だと気付いたのです。
むしろ、「余白の美」を求めようと思ったのでした。
Instagramで手帳関連のものをフォローしているのですが、それは見事にデコレーションされたり、小さな字でびっしりと埋め尽くされたページが目立ちます。
とても素敵だと感じます。
一時期はそんな手帳に憧れていたのですが、今は「余白」のある手帳にしたいと思っています。
 

せっかちな人

私のことは、多くの人からは「おっとりした人」のように見えているかも知れません。
でも、長く付き合った人から見ると、とても「せっかちな人」なのです。
「せっかち」な部分を敢えて隠そうと思っていることが、そういう見かけになるのかも知れません。
でも、「せっかち」なのです。
何もしない時間が嫌いだったりします。
何よりも、始めたらすぐに終わらせたい方です。

でも、何かをやり遂げるためには、ある程度の時間が必要で、その時間の中には「余白」が必要なんです。
ぶっ続けでずっと何かをやり続けることは、無理なことなのです。
無理にそうしようとすると、返って非効率になったりします。
考えなくて良いことをただ黙々と続ける作業ならそうではないかも知れませんが、考えることだったらなおさら「余白」が必要なんです。
毎日には、必ず「余白」が必要なんです。
ある程度のパフォーマンスをあげるためには、ぼんやりとする時間も必要なんです。
 

モノや情報について

モノでびっしりと、隙間無く埋め尽くされていたら、きっと集中できなくなるでしょう。
机の上にはモノが無い方が良い。
ゆったりとした気持ちになれる「余白」が必要なんです。
「余白」を作るには、「整理整頓」が不可欠です。
モノが溢れているのなら、「断捨離」が不可欠です。

情報が溢れている時代です。
何もしなくても、周囲からは情報が迫ってきます。
自然と頭の中は情報で埋め尽くされてしまいます。
テレビの時代は終わって、SNSの時代になったのですが、アナログ媒体よりも情報で溢れています。
スマホから開放されることも必要です。
電波の届かない大自然の中を歩けたら、きっと頭の中も心の中も、「余白」で満たされると思います。

大事なことって、そんなに多くない気がします。
少ないからこそ貴重なモノがあるように、大事なモノも多くない気がします。
 

このブログについて

「余白」を作りたい対象をいくつか選んで、カテゴリー分けをしようと思っています。
一つは、最初に書いた「手帳・ノート」だと思っています。
もう一つは、身の回りの環境ですが、これは「整理・整頓」というカテゴリーにしましょう。
さらに、もっと大きく捉えると、「生き方」そのものだったりします。
或いは、「心・気持ち」だったりします。

と思っていたのですが、カテゴリー分けが返って思考を枠に閉じ込めてしまうのではないか、そんな疑問が湧いてきました。
少し迷った末に、カテゴリー分けをいったん止めてしまうことにしました。
自由に書いて、結果カテゴリーを分けた方が良いと考えたら、後日分類するかも知れません。
ある程度記事がたまったら、考え直すかも知れません。

たまたまこのブログを覗きに来て下さった方、もしもよろしければしばらく見守っていただけたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

2024年1月18日

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